敵は太平洋上の要塞化された我軍島をつぎつぎと攻略――怒涛の如くフィリピン諸島へと迫った。
陸海軍の精鋭たちが続々と終結する中、起死回生の策として、零戦に250キロ爆弾を積み敵艦に体当たりするという作戦を考案した。
発案したのは「大西滝次郎」であった。
「敷島隊」関大尉を中心とする史上類を見ない特攻攻撃が開始された。
多くの若者が笑って散って行った。
私たちの先輩たちに、日本という国を守るため、家族を守るため、愛する人たちを守るため、散って行った人たちがいる。
彼らに理屈はありません。
ただ、愛する人の幸せを祈って、死んで行ったのです。
それらは二十歳そこそこ……あるいは高校生くらいの未成年者たちでした。
それらの事実を私たちは決して忘れてはなりません。
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