2009年10月30日金曜日

南海に舞い 覇を競った大空の騎士たち

南太平洋戦線――――米軍の反抗作戦に真っ向から立ち向かった空の騎士たち……。

かっこいいですね。私はこの辺りがすきなんですね。
南洋ということもあってロケーションがいいからなのでしょうか。

しかし戦うほうは必死です。日本の戦闘機は一発でもあたったら命取りですから、あとは海に消えるだけです。
陸は大変だったと思いますが、空は景色が美しい……それだけが救いであったかもしれません。

パールハーバーから華々しい戦果をあげ瞬く間に東南アジアを席巻した日本軍ですが、当時国力はアメリカの10分の一、資源もいまほど売るものがなかったので、外からはほとんど入ってきません。外貨もあまり稼げません。
つまり資源は半年でそこをつく程度です。アメリカを相手に長続きするわけがありません。

しかも日本の連合艦隊は致命的な失敗をしてしまいました。

「ミッドウエイ海戦」で主力空母のほとんどを失ってしまったのです。
それとともに貴重な飛行機、優秀なパイロットもほとんど海の藻屑と消えてしまいました。
たぶん生きていればエースパイロットがたくさん生まれていたでしょう。
彼らが死ぬということは後輩たちを導き育てる人がいなくなってしまうということです。

よちよち歩きの若年パイロットは腕のいい修羅場をかいくぐった先輩たちを頼りにするしかありません。

有名ですが、酒井三郎という人は
「いいか、お前たち、おれから絶対離れるなよ。そしたらおれは絶対お前たちを死なせない……。」
といって小隊を率いていたそうです。
たぶん骨抜きになった海軍航空隊は、巣立った雛鳥がそのまま落っこちるように、飛び立った先からばたばたと死んでいったと思います。

個人的に私は「ラバウル航空隊」がすきなのですが。

日本軍の隙をついでガダルカナルに上陸、ヘンダーソン飛行場を建設した海兵隊15000を主力とする米軍に対し、日本軍は激しい奪回作戦を開始します。

陸海をあわせて伯仲した血みどろの戦いをしたという点では、太平洋戦争最大の激戦であったといってもいいでしょう。

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