2010年10月14日木曜日

Berryz Koubou - Dschinghis Khan (PV) (jingiskan)



な、なんだこりゃ!! てめえ、こんなどうがだすんじゃね~~ とか言われそうですが――実はジンギスカンのことについて語りたかったのですが、ほかに動画が無かったので。私は日本が産んだ誇れる宝だと思うのですが。


ジンギスカンは男のロマンにも思えます。少なくとも私のなかではそうです。
モンゴルがいかにして強大な帝国を造ることができたか。
秋の夜長に、片っ端から本を紐解いたり、図書館で調べたり、映画、動画を探したり、1000年近い時をさかのぼるというのも――それを知ることこそ壮大なロマンですね。

私が唯一座右の書としていつも手元においていたのが「モンゴル帝国史」という本です。これはかなり古い本ですけどね。市販されていますよ。

2009年11月1日日曜日

馬賊の歌






新撰組



私は根っからの戦国派だったので幕末とか新撰組などにはまったく興味がありませんでした。
私が中学のときにも新撰組のドラマをやっていて、友だちが「新撰組かっこいいね~」といってドラマの自慢をしていましたが、やっぱり興味はありません。当時は織田信長の研究の真っ最中だったのです。

新撰組に興味を覚えたのはたぶん、アニメ「るろうに剣心」の影響だったと思います。

幕末の剣客たちを題材にして、あれほどまでに完成度の高い作品を作り上げたことには、まったく敬服します。
そこでは剣心の活躍をメインにして、新撰組の隊士たちの活躍を角度を変えて、まるでメインテーマのように生き生きと描き出しています。

沖田総司を始め、土方歳三などが生き生きと描かれていますが、なかでも興味を抱いたのは「斉藤一」でした。
数々の映画やドラマの中ではあまりスポットライトを浴びていませんが、洗練された「突き」技は最強と歌われていました。

斉藤を皮切りに私はどんどん新撰組にはまり込んでいきました。

戦国期から江戸初期にかけて数々の剣豪が生まれましたが、幕末にいたって、その激動の時代、自らを守る術として、また敵を刺殺するテロリズムの手段として、各々がその研洗研洗に努めました。
かの勝海舟でさえ北進一刀流の免許皆伝を許されておりました。


彼らはラストサムライとして剣と侍の時代の幕を引いたのです。




土方歳三は新生「北海道共和国」の陸軍総裁として、そして、最後の新撰組隊士として、五稜郭において戦死した。

だが、戦死と伝えられるのみであり、政府軍の必死の捜索にもかかわらず、その遺体は見つからず、ロシアに渡ったとも噂されている。

2009年10月30日金曜日

国士舘対朝鮮高校

私は右翼からなのか(精神的な右翼であってなんら活動はしていません)、国士舘が好きですね。
〈私はどちらかというとファシスト、NSDAPに近いですから、日本の右翼の人には理解されないようです。〉

私の生まれたところが長野の田舎ですから、直接現場を目撃したわけではありませんが、当時東京にすんでいた先輩から話は聞きました。
なんでも山手線であろうが何であろうが、木刀片手に大乱闘を繰り広げていたらしいですね。
ホームのベンチでは、仰角45度に野獣のような顔をしてふんぞり返っていたそうです。

しかし、朝鮮も強かった。五分五分と言った感じでしょうか。

大阪の友達の話では朝鮮高校が出来ると、いつのまにかそのそばに国士舘が出来ていたそうです。
あるとき電車に乗ったら、国士舘の襷(たすき)をかけた5,6人の兵隊たちが仁王立ちに立っていたそうです。友達の感想。「かっこえ~~~」

神風特攻隊 

敵は太平洋上の要塞化された我軍島をつぎつぎと攻略――怒涛の如くフィリピン諸島へと迫った。

陸海軍の精鋭たちが続々と終結する中、起死回生の策として、零戦に250キロ爆弾を積み敵艦に体当たりするという作戦を考案した。
発案したのは「大西滝次郎」であった。

「敷島隊」関大尉を中心とする史上類を見ない特攻攻撃が開始された。

多くの若者が笑って散って行った。



私たちの先輩たちに、日本という国を守るため、家族を守るため、愛する人たちを守るため、散って行った人たちがいる。

彼らに理屈はありません。
ただ、愛する人の幸せを祈って、死んで行ったのです。

それらは二十歳そこそこ……あるいは高校生くらいの未成年者たちでした。

それらの事実を私たちは決して忘れてはなりません。